待ちに待った欧州中銀(ECB)金融政策理事会が10月26日(木)に迫ってきた。9月の理事会で、「金融政策の決定については、10月理事会で発表」とドラギ総裁が語ったため、今回のECB会合への関心度は相当高い。
今回のコラムでは、会合に向けたコンセンサスや、私個人のユーロ予想などをご紹介したい。
真っ二つに分かれたコンセンサス内容
主要中銀の金融政策理事会が開催される場合、事前予想として「コンセンサス」が出来上がる。一番身近なものとしては、ロイターやブルーンバーグなどの通信社が発表するエコノミスト/アナリスト調査の結果がそれだ。それ以外では、各銀行が発表する予想などである。
早速調べてみたところ、通信社の調査結果と大手行の予想が真っ二つに分かれていることに気がついた。それぞれの予想は以下の通りである。
【ロイター調査結果】
3つの項目で調査が実施された。
1) テーパリング発表の有無
45/45人全員が、10月26日の理事会でテーパリングを発表すると予想
2) テーパリング規模(現在 月額 600億ユーロ)
最大カット予想 : 400億のカット → 月額 200億ユーロへ
最小カット予想 : 50億のカット → 月額 550億ユーロへ
全体の平均 : 200億のカット → 月額 400億ユーロへ
3) 延長期間
14/32人 6ヶ月の延長
13/32人 9ヶ月の延長
5/32人 12ヶ月の延長
オープンエンドについては、調査なし
総合すると、「月額 400億ユーロ、6〜9ヶ月の延長」というコンセンサスである。
【大手行数行の予想】
実はロイター調査を見るまで、私がコンセンサスと信じていたのが、こちらの内容であった。それは、「月額 300億ユーロ、9ヶ月の延長」である。つまり、ロイターの調査結果より、テーパリング規模が大きいことが特徴である。
テーパリング発表での注意点
今回の理事会で私が注意しているのは、ズバリ3点
- テーパリングの規模
- テーパリングの期間
- オープンエンドの有無
以上である。読者のみなさんの中には、「オープンエンドとは?」と首をかしげる方もいらっしゃるであろう。これは、テーパリングの期間を「Xヶ月と決め、それで完全に終了する」やり方ではなく、過去ずっとECBがやってきたように、「Xヶ月の延長、ただし場合によっては更なる延長もあり得る」と付け加えるやり方で、これをオープンエンドと呼んでいる。
当然であるが、Xヶ月と言い切れば、その内容はタカ派と受け止められ、量的緩和終了感が高まるため、ユーロは上昇しやすくなる。反対に、オープンエンドとなればハト派色が強くなり、QE策がだらだらと継続する可能性を織り込みながら、ユーロは右往左往するであろう。日本では、この点をあまり注目していない印象を受けるが、今後のユーロ動向に大きな影響を与えるため、「オープンエンドの有無」は確実にチェックしたいと思っている。
ECBからの発表とユーロ動向
最後に、ECB理事会からの発表内容と、ユーロの動きについて自分なりの考えを書いて終わりにしたい。
10月26日当日のユーロ・レベルがわからないため、「上昇/下落」という書き方になる点はお許しいただきたい。
1) ロイターのコンセンサス
月額 400億ユーロ 6〜9ヶ月の延長
オープンエンドであっても、なくても、ユーロは初動で下落を予想
2) 大手行のコンセンサス
月額 300億ユーロ 9ヶ月の延長
オープンエンドでなく、「9ヶ月の延長」となった場合、ユーロ上昇を予想
3)大手行のコンセンサス
月額 300億ユーロ 9ヶ月の延長 + オープンエンド
初動はユーロ上昇となるだろうが、オープンエンドが追加されたことを受け、上昇の速度はある程度鈍くなることが予想される。
4)予想外の大規模テーパリング
月額 200億ユーロ 9ヶ月の延長
一部の銀行が、この予想を出しているようだ。いずれのコンセンサスよりもテーパリング規模が大きいタカ派的内容となっており、ユーロは大きく上昇するであろう。
特に、この内容でオープンエンドがついていない場合は、ユーロ上昇幅はより大きくなることが予想される。
ヨーロッパの報道を読む限り、「ECB理事会としては、あまり過激な内容のテーパリング内容を発表し、ユーロが爆騰してしまうことは避けたいに違いない。」いう予想が大半を占めていることを考えると、決定内容が4)となる可能性はかなり低くなるだろう。
最後に、いかなる発表内容となっても、ドラギ総裁の記者会見での質疑応答で上昇/下落したユーロが全戻ししないとも限らない。この日はあまり欲を出さず、冷静に対処したいと思っている。
松崎 美子氏プロフィール

- 松崎 美子(まつざき よしこ)
- 東京でスイス系銀行Dealing Roomで見習いトレイダーとしてスタート。18カ月後に渡英決定。1989年よりロンドン・シティーにあるバークレイズ銀行本店Dealing Roomに就職。1991年に出産。1997年シティーにある米系投資銀行に転職。その後、憧れの専業主婦をしたが時間をもてあまし気味。英系銀行の元同僚と飲みに行き、証拠金取引の話しを聞き、早速証拠金取引開始。