昨年6月に英国で実施されたEU離脱の是非を問う国民投票で、英国民は「EU離脱(Brexit)」を選択した。しかし、この結果には法的拘束力がないため、同年11月、高等法院は「EU離脱の正式な手続きを始めるにあたり、 EU 基本条約 50 条の行使には、議会の承認が必要」という判決を下している。この判決に不満を持ったメイ政権は、最高裁へ上訴し、その判決が今週火曜日24日に発表された。
(参照)http://www.yjfx.jp/report/ma/20161111_Lreport.pdf
この判決を巡って今後考えられる動きと、英ポンドへの影響について考えてみたい。
最高裁からの判決内容
1月24日(火)、英最高裁は、「EU基本条約50条行使には、議会の承認が必要」という判決を下した。昨年11月に高等法院が出した判決と全く同じである。最高裁には11人の裁判官がいるが、8対3での判決結果となった。政府側の敗訴は以前から予想されていたものの、11人の裁判官の投票配分には、これといったコンセンサスはなかった。最悪のシナリオは、「11人全員が政府側の主張を退ける【メイ首相完敗】」であったが、かろうじてそれは避けられた格好となった。
90ページ以上に及ぶ判決文では、「英議会は、50条行使にあたり、北アイルランドやスコットランド自治政府の合意は必要なし」という文言も見受けられる。どうしてこの文言が大きな意味をなしているかと言うと、1990年代後半に行われた地方議会設立時に、各地方政府へ権限委譲が行われた。その権限内容の変更を行う場合、彼らの同意を求める仕組み(スウル慣習:Sewel Convention)となっているため、最高裁では「50条行使に限っては、必要ない」と断った。
これにより、英議会はシングル・マーケット残留を強く望むスコットランド政府の介入に邪魔されず、50条行使に向けて動き出せる。
最高裁判決言い渡し時とその後の英ポンド相場
事前から政府の敗訴が予想されていたものの、判決文を読み始めると英ポンドは動意を見せ始めた。裁判長は4分57秒かけて、判決文を読み上げたが、政府の敗訴の発表があると、英ポンドは一旦上昇した。しかし、4分後に地方自治政府の合意は不要と伝わると、「スコットランドの合意が必要ないのであれば、ハードBrexitとなるのは確実だ」という思惑が広がり、英ポンドは下落に転じた。

予定通り3月31日(金)までに50条行使が出来るのか?
最高裁から判決を言い渡された日の午後、デービスBrexit担当相は議会で「3月31日(金)までに50条を行使する計画に変更なし。」とあらためて強調した。その後わかったことであるが、Brexit関連法案の修正案を今週木曜日(1月26日)に提出し、2月中旬までに議会で可決させるつもりのようだ。そうでなければ、3月末までに間に合わない。通常、新しい法案や修正案の審議→採決→議会での可決を取り付けるには、長い場合は1年くらいを要する。しかし、今回はそのような時間的余裕がないため、おそらく「緊急事態法」に基づき、2週間程度で議会での可決まで持っていくつもりのようだ。
(参照)https://www.gov.uk/government/news/supreme-court-ruling-on-article-50-statement
判決発表後の議会では、与野党の議員からいくつもの質問が出たが、それらを総合すると、自民党だけが50条行使に向け新たな国民投票の実施を要求しているほかは、ほとんどの議員は3月31日(金)までの行使に前向きである。
50条行使前の議会での採決予想
最高裁の判決を受け、50条行使に向け議会の採決が必要となった。下院は、総議席650のうち、保守党が329議席を占めていて、最大野党:労働党のほとんどの議員も3月末までの50条行使には賛成しているため、問題はないであろう。

しかし上院は全く別問題だ。上院における保守党の議席は過半数には遠く及ばず、採決を取った場合、問題が生じる懸念がある。しかし、上院議員は選挙で選ばれた人たちでないため、下院の採決に異議を唱える慣習がない。そのため、下院が大差をつけて可決すれば、上院も問題なしと見て間違いないというのが、英国でのコンセンサスとなっている。
ここからのマーケット
昨年11月の米大統領選以来、順調に進んでいた米ドル高相場。しかし、今年に入ってからは調整を強いられている。

そして、英ポンドは米ドルの調整にあわせるかのように、今年に入ってからは上昇に転じる機会が増えてきた。当面は、米ドルの動向を見極めながら、下落時のサポート/上昇時のレジスタンスとなった「英ポンド/米ドル」の1. 2780/2800(水色の点線)ドルレベルを意識しようと考えている。

松崎 美子氏プロフィール

- 松崎 美子(まつざき よしこ)
- 東京でスイス系銀行Dealing Roomで見習いトレイダーとしてスタート。18カ月後に渡英決定。1989年よりロンドン・シティーにあるバークレイズ銀行本店Dealing Roomに就職。1991年に出産。1997年シティーにある米系投資銀行に転職。その後、憧れの専業主婦をしたが時間をもてあまし気味。英系銀行の元同僚と飲みに行き、証拠金取引の話しを聞き、早速証拠金取引開始。